放牧中

もはや見えぬ光よ かつて私の物だった光よ もう一度私を照らしてくれ

『22/7』感想 あるいは、秋元康は自分が支配者であることを自覚しているのか

君は君らしく 生きていく自由があるんだ
大人たちに支配されるな
初めからそう諦めてしまったら
僕らは何のために生まれたのか

欅坂46の代表曲、『サイレントマジョリティー』。
いい歌詞だ。
それを書いているのが秋元康だということから目を背ければ、の話だが。

大人からの支配に抗う少女たちに寄り添おうとする素振りを見せる秋元康
だが、彼は少女たちの理解者ではない。
支配者だ。
おニャン子クラブAKB48乃木坂46
数々の人気アイドルをプロデュースしてきた彼は、時代を作ってきたと言っても過言ではない。
秋元康は権力者以外のなにものでもない。
サイレントマジョリティー』を、『不協和音』を歌う欅坂46
ファンにとって、それは輝かしいステージだろう。
しかし、秋元康が歌わせていることに気付くと、歌って踊るアイドルたちは滑稽な人形劇の操り人形にしか見えない。
権力者が歯向かう術を持たない少女たちに大人たちの支配への抵抗を歌わせているだけだ。
――秋元康は支配者でありながら、その権力の大きさに無自覚なのではないか。
このことは数年前から指摘されてきた。*1

 

1月から3月までの間、『22/7』が放映された。
数年前から活動していた秋元康プロデュースのデジタル声優アイドルグループの念願のアニメーションだ。
企画発表当初から、キャラクターデザイン原案を堀口悠紀子やカントク、深崎暮人などの名のあるイラストレーターたちが担当だったことで注目を集めていた。
簡単にあらすじを説明する。

謎の芸能事務所から怪しげな手紙が届いた8人の少女たち。
合田と名乗る大男に導かれた先は、地下施設と謎の"壁"。
"壁"から出される指示に従い、彼女たちはアイドルとして活動することになる。
アイドルをやりたいと思っていない滝川みうも例外ではなかった…。

誰がどう見ても、"壁"とは秋元康のことだ。
どのようにして"壁"=秋元康をぶっ壊すのかに注目して視聴した。

様々な活動を通じて22/7に愛着を覚えた8人。
しかし、突如"壁"は解散を命令する。
みうたちも、合田たち大人も、"壁"の命令には誰も逆らえない。
しかたなく解散した彼女たちだったが、いつのまにか地下施設に集まっていた。
すると"壁"が22/7の目的を明かす。
すべては実験であり、もう22/7には用がない。
活動を続けられるように嘆願するも、"壁"は取り合おうとしない。
いきなりみうは壁に殴りかかる。
壊れた壁の先には、幼少期からの8人の写真が大量に貼ってある。
薄気味悪さを覚えながら、メンバーが更にその先に進むと、大勢のファンの待つステージに繋がっていた。
そして、8人は歌い出す。

ここまではそれなりに感動的だった。
前述したような秋元康の無自覚な支配や、劇中での22/7のファンが『トゥルーマン・ショー』でトゥルーマンを観ていた視聴者のようであることに目を背けられたのなら、なんとか耐えられた。
しかし、彼女たちが解散命令に歯向かうことすら筋書き通りであり、すべては"壁"の掌の上だったことが明かされる。

22/7の8人が主人公なら、このような描写にする必要はない。
みうたちと同様に"壁"の言いなりだった合田たちが、彼女らに感化されて舞台を用意する。
こちらの方が綺麗な終わり方だった。
そうしなかったのは、"壁"が主人公だったことに他ならない。

 

彼は自らの権力に無自覚な馬鹿ではなかった。
秋元康は支配者であることを自覚した上で、支配に抗おうとする少女を演出し、それを見世物にしていた。
これを邪悪と呼ばずして何と言おう。

秋元康プロデュースのアイドルを応援することは、秋元康の邪悪さから目を背けることと同義である。
操り人形の糸に気付かないふりをするのは、そろそろ辞めるべきだ。